「お前の家、立ち退きちゃうんか?」「あほっ、あんな道路絶対にできるわけないやろ」、そんな会話を交わしていたのが30年以上前の中学生時代。国道163号線くらいしか大きな道路がなかった町に「第二京阪道路」が横断してから10年以上経っているのですが、個人的には未だに完成したという実感が湧きません。
第二京阪道路ができるまで、大阪と京都間の主な自動車ルートは次の4つでした。
淀川右岸(高槻側)に
- 名神高速道路(天王山トンネル経由)
- 国道171号(水無瀬・大山崎経由)
こちら淀川左岸の北河内側には、
- 国道1号(洞ヶ峠=ほらがとうげ=経由)
- 府道13号京都守口線(旧1号線=淀川沿い、樟葉・橋本経由)
門真の住民から見ても、4ルートのどれをとっても「便利で快適」と思える道はなかったのではないでしょうか。
“第一京阪”の国道1号線なんて常に混んでいて、あまり走りたいとは思えませんでしたし、狭い旧1号線は昼間の景色はいいけど億劫です。京都方面からの帰りに名神など乗ってしまえばお金を取られたうえに門真から遠ざかる……。
そもそも、門真から京都方面へ行く用事なんてそれほどない、といえなくもないのですが、関西全体で見れば、大阪と京都という二大都市間の自動車交通インフラがぜい弱であったのは事実です。
そこで、もう1本の幹線道路として、片町線(学研都市線)に近いルートで計画されたのが第二京阪道路でした。
40年かけて全通した自動車専用道
第二京阪道路の計画が正式に決まったのは1969(昭和44)年。京都市伏見区の巨椋池(おぐらいけ)から門真の稗島(ひえ島)にある「大阪中央環状線(府道2号)」までの全線で開通したのが2010(平成22)年なので、決定から完成までに41年という月日を要したことになります。
行政(大阪府)としては、将来に道路を作るので、通過する門真や寝屋川、交野、枚方などの予定地は「都市計画決定」して大きな建物を建てられないようにするなど一定の規制を設けていました。
しかし、経済が上り調子にあった1970年代に2010年代のことが見通せるはずもなく、「そんな夢みたいな将来計画など知らん」と、規制をかいくぐって家がどんどんつくられていきます。
計画を知ってか知らずかそうした場所に住んでいた家庭の子どもが学校にはそれなりにいて、いつまで経っても立ち退く気配が見られず、“焼け太り”(中学生の想像では立ち退きになると「立ち退き料」で焼け太りすると思っていた)した形跡もなく、そのまま卒業となり、いつしか第二京阪の計画は「都市伝説」のように感じていたものでした。
そんな“都市伝説”という状態のままで門真を離れてしまったので、いざ完成しても実感できないのだろうと思います。
国道163号線とは違った風景が出現
第二京阪は、高架の上部が高速道路(有料の自動車専用道路)で、その下は一般道路の“2階建て”としており、特に一般道部分は門真などの沿線住民にとって重要な交通インフラとなっています。
道路を巨大な遮音壁で覆い、道路脇には緑化した路側帯を設けて周辺の環境に配慮しているのですが、外から見ているとどこか寒々しい風景にも見えてしまいますし、車で走っていても面白くはないのではないでしょうか。
同じ幹線道路でも国道163号線は“ロードサイド店舗”が多数立ち並び、歩道部分を歩いたり、自転車で走ったりして訪れる人は現在も多く賑やかです。
生活の場と幹線道路が近いので、騒音や交通事故などで迷惑をこうむることは多いですし、1980年代は門真でも毎年のように小・中学生が横断中に犠牲となっていて、近づくのを避けるように言われていました。各小学校の校区(通学エリア)も163号線を横断しない形で考えられているはずです。
そんな迷惑な存在でありながらも、自動車に乗らない・乗れない住民にとっても、ロードサイドの賑わいという面で一定の恩恵はありましたし、一部では路線バスも走っていて、交通インフラとして欠かせない道路です。
第二京阪は、周辺の生活道路の混雑緩和という面で貢献しているのでしょうが、自動車に乗らない・乗れない層にどれだけのメリットがあるのかが、なかなか見えてきません。
だからこそ、門真南駅から第二京阪の地下を使って「長堀鶴見緑地線」を交野市まで延伸を!などと言いたいところなのですが、これも今となっては夢みたいな構想なので、別の機会にします。
門真南から大阪中心部へは10年後に完成
そんな第二京阪が開通してからもう10年以上が経ち、門真をはじめとした北河内と京都間の自動車交通は便利になったのですが、今も大阪方面は「門真南止め」なので、中心部へ真っすぐ行けるわけではありません。
門真南(稗島)まで来ると、中央環状線経由で迂回するか、そのまま真っすぐ下道(一般道)を走って鶴見緑地方面へ向かうかしなければならない状態です。
ただ“その先”もちゃんと考えられていて、門真南から大阪中心部へは「淀川左岸線延伸部(大阪門真線)」という名称で、自動車専用道を伸ばす計画が着々と進行しており、昨年(2021年)10月には建設工事が始まりました。
田畑も残っていた環境にあった北河内の第二京阪沿いとは違い、鶴見区や城東区、都島区の住宅密集地帯を貫く計画なので、ほとんどがトンネルです。
このうち、城東区と都島区では、地下70メートルという深い位置にトンネルを掘ることで、地上部の土地所有者の同意が不要な「大深度地下」という制度を使っています。
同様の大深度地下道路の建設時に陥没してしまった首都圏環状道路(東京外環道)のようなトラブルが起きなければ、淀川左岸線延伸部の完成予定は現在のところ10年後の2032年とのことです。
完成すれば第二京阪の計画決定から60年以上をかけて、ついに北河内と大阪中心部が高速道路(自動車専用道路)でつながることになります。
その際には、第二京阪沿線沿いにある町から「高速路線バス」でゆっくり座って大阪中心部まで通勤・通学ができるような環境が生まれれば、門真の南部エリアなどの価値も上がると思うのですが、10年後にどんなことになっているのでしょうか。
巨大な国家プロジェクトの産物として、車に乗らない・乗れない沿線住民への恩恵として、ぜひ考えてほしいところです。超高齢化社会の新たな交通インフラとしても役立つはずです。
(2022年7月1日時点の内容です)