門真といえばパナソニック(松下電器)というのは今も昔も変わりはありませんが、同社ほどの巨大規模には至っていないものの、「ものづくり」の世界で飛躍した著名企業が複数存在します。「(パナ以外の)門真5大企業」と題し、誰もが知る有名な3社と業界で著名な2社をまとめてみました。
まず、門真市内に本社を置き、その社名や製品が全国的に知られている企業を3社あげてみましょう。
門真の「著名な3大企業」
タイガー魔法瓶 株式会社
- 本社:門真市速見町3番1号
- 門真移転:1963(昭和38)年
- 創業:1923(大正12年)2月(大阪市西区)
- 売上高:384億円(2021年4月)
- 従業員:780人(2021年4月)
東和薬品 株式会社
- 本社:門真市新橋町2番11号
- 門真移転:1974(昭和49)年
- 創業:1951(昭和26)年6月(大阪市東区)
- 売上高:1,656億1500万円(2022年3月)
- 従業員:3,461人(2022年4月)
株式会社 海洋堂
- 本社:門真市柳町19番3号
- 門真移転:1976(昭和51)年
- 創業:1964(昭和39)年4月(守口市)
- 売上高:不明(20億円=2016年「リクナビNEXT」情報)
- 従業員:49人(2021年8月)
タイガー魔法瓶、東和薬品、海洋堂と企業規模に違いはありますが、全国的に知名度の高い3社はいずれも門真市駅から比較的近い範囲に本社を置いています。
3社とも起業は市外でしたが、その後に門真の地で成長したという特徴があります。
まもなく創業100年、タイガー魔法瓶
この3社のなかではもっとも長い歴史と高い知名度を誇るのが「タイガー魔法瓶」です。
同社は国道163号線沿いの速見町に1963(昭和38)年から本社や工場を置いており、1980年代は同社のテレビCMを見なかった日がなかったくらい知名度のある家電メーカーでした。
愛媛県出身の菊池武範(たけのり)さんが「魔法瓶」の製造を下請けで始めたことを起源とし、松下幸之助さんとほぼ同時代に近い場所(大阪市内)で独立に踏み出しています。
(※なお、魔法瓶は“冷めない水筒”のことで、今でいうステンレスボトルの原点のような製品。欧州で考案され、明治の末ごろから輸入が始まったいわば“舶来品”でしたが、その後は国産にも乗り出していました)
比較的裕福だった生家が傾き、大正期に大都会の大阪へ出て住み込みの奉公を経て独立し、苦心の末に自らの力で事業を築き成功に導く――、こうした立身出世の流れは和歌山の松下幸之助も愛媛の菊池武範も同じで、100年経った今も企業と伝説を残し、なおかつ門真に本社をとどめているのは嬉しいところです。
一方、売上規模だけを見るとパナソニックの7.3兆円に対し、タイガー魔法瓶は384億円と大きな差が付きました。
同社が得意とする「魔法瓶」や「炊飯器(炊飯ジャー)」では強い存在感を発揮しているものの、象印マホービン(大阪市北区)のような著名ライバル企業は多く、炊飯器市場ではパナソニックをはじめとした家電メーカーも多数参入しています。
製品がコモディティ化(一般化)していくなかで、飛躍的な成長を遂げることは難しかったのかもしれません。
ただ、パナソニックもこの100年で7~8兆円の売上規模を築いたものの、直近十数年はかつての高度経済成長期のテレビやビデオのように“爆発的な儲け頭”は見つかっていない状態にあり、伸び悩みが見られるのは一般消費者向けの「家電」を事業の主力とする両社ならではといえそうです。
タイガー魔法瓶創業者の武範から数えて三代目にあたる現在の菊池嘉聡(よしさと)社長は、若くしてトップに就任してからもうすぐ四半世紀。海外に明るいことや、一昨年夏に本社オフィスを刷新したあたりに、どこか期待を感じさせます。
来年(2023年)2月に「創業100周年」という節目を迎えるなかで、タイガー魔法瓶の名を再び世の中に轟かせることはできるのでしょうか。
急成長する“ジェネリックの東和薬品”
東和薬品は、「ジェネリックの東和薬品」という形で、女優・黒柳徹子さんによるテレビCMとともに頭のなかに残っている社名ではないでしょうか。
メーカーの特許が切れた同様の薬を製造して安価で提供する「ジェネリック医薬品」の有力メーカーとして、急成長している上場企業です。門真の企業で株式を上場しているのは、現在のところパナソニックと東和薬品だけになります。
2004(平成16)年に黒柳さん出演のテレビCMが始まった当時、世間では「ジェネリックって一体何だ?」という状態でしたが、それから20年近く経とうとしている今では、ジェネリックという言葉が一般的に通用するまでになりました。
同じ時期には、「なによりも患者さんのために」とのキャッチフレーズで、ジェネリック分野トップの沢井製薬も俳優・高橋英樹さんを起用したCMを始めており、沢井製薬と東和薬品のCMはジェネリックの普及に大きな役割を果たしたといえます。
最近では東和薬品のCMに黒柳さんだけでなく、フォークシンガーの南こうせつさんや、フィギュアスケートの羽生結弦(はにゅうゆづる)選手など、知名度の高い人も“ゲスト出演”し、さらに話題を集めるようになりました。
高齢化社会を迎えて医療費負担を抑えたい国がジェネリックの普及を促すであろう、という近未来の予測が立っていたからこその先行CM投資だったのでしょうが、今のところ「当たっている」といえるでしょう。
一方、2020(令和2)年に始まったジェネリック医薬品メーカーの製造不正問題は業界を揺るがせ、イメージの悪化懸念やジェネリック医薬品の不足が問題となっていますが、東和薬品は問題を起こしておらず、今のところは蚊帳(かや)の外にいます。
東和薬品の歴史は、戦時中に看護兵をしていたという創業者の吉田雄市さん(三重県多気町出身)が戦後、大阪市東区で医薬品原料の卸・仲買業を始めたことを源流とし、社名は「東と和をなす」という意味を込めたとのこと。1974(昭和49)年に本社を門真へ移しています。
二代目となる吉田逸郎社長によると、創業者は松下幸之助を尊敬しており、当時居住していた香里園の自宅近くには松下電器の副社長が住んでいたという縁も手伝って、業容拡大の地として門真を選んだのだといいます。
このあたりの経緯は門真納税協会(殿島町)が発行する「税と繁栄」という冊子に書かれていました。“税務署お墨付き”の公益社団法人に取り上げられていることからも、同社がいかに多くの税金を納めているかが分かります。
現在、東和薬品は門真図書館となりの新橋町に「本社ビル」を置き、松生町には「大阪工場」、運転免許試験場に近い一番町には「中央研究所」、中央環状線に近い桑才新町には「製剤研究所」があります。
さらに今後、大阪工場至近の松生町にあったパナソニック工場跡地(南門真地区)の一部を使ってオフィスを新設する計画もあり、今、門真でもっとも元気な全国系企業といえます。
海洋堂は街の模型店から造形者集団へ
2つの大型企業と比べれば「中小・零細」といえる部類に入りますが、そんな規模ながら全国的な知名度を持つのが海洋堂です。
食玩(しょくがん)と呼ばれる「おまけ」分野における製品製造の精巧さから2000年代前半を機に(愛好家以外の人々にも)一躍脚光を浴びる形となった同社ですが、もともとは守口市の土井駅前にあった“街のプラモ屋”でした。
93歳になった創業者の宮脇修さん(高知県生まれ)が今も発揮する強烈なバイタリティーと、“センム”の愛称で知られる息子・宮脇修一さん(1957年生まれ)の模型・造形分野におけるカリスマ性に惹かれ、1980年代に異能を持つ若者が次々と集まり、街の模型店から次第に造形者集団へと変わっていった、というのが同社の歩みです。
ガレージキットと呼ばれる少量生産の手作り模型(フィギュアなど)の世界では古くから知らない人はいない同社でしたが、半世紀以上も世を驚かせるような作品を発表し続けることで、その存在を一般層にまで知らしめました。
最初は土井のプラモ屋だった海洋堂が門真にやってきたのは1976(昭和51)年のこと。ボウリング場の跡を使って、当時流行していた「レーシングサーキット」をつくったことが最初だったといいます。
1980年代に同社で働いていた経験を持つ脚本家・映画監督の樫原(かしはら)辰郎さんが2015年に著した「海洋堂創世記」(白水社)と名付けた書籍では、門真の感想を次のように記していました。
門真にはパナソニックの本社やタイガー魔法瓶の本社があるのだけど、なんでそんな大企業の本社が門真市にあるのか、若い頃はよくわからなかった。
でも、今はわかる。というか、想像がつく。昔はなんにもない土地だったので、大きな工場を建てやすかったのだろう。それ以外の理由は考えられない。(海洋堂創世記)
まさにその通り、という一文で、門真に“ものづくり工場”が多い理由を簡潔に述べています。海洋堂もそうした環境に引き寄せられるかのように、ものづくりの街では当たり前のように点在する「倉庫」を門真で借りました。隣町なので大きな違和感もなかったことでしょう。
1977(昭和52)年にハローワーク門真至近の殿島町にあった倉庫は「ホビー館」と名付けて模型の商いとガレージキットの製造を続け、2001(平成13)年からは門真警察署近くの柳町に築いた自社ビルに本社を構えています。
なぜファンドに経営権を譲渡したのか
同社は1980年代の中ごろから東京都内でギャラリーを構えたり、近年は創業者の故郷である高知県にミュージアムを建てたりと門真以外に“普及・啓発”の場を持っていましたが、昨年2021年6月には本拠地である門真でも「イズミヤ」の3階を借りて作品展示・販売の場である「海洋堂ホビーランド」をオープンしています。
本拠地の門真でも勢いが止まることがないように見える海洋堂ですが、実は一昨年2020年6月から三井物産や三井住友銀行系の投資会社「MSD企業投資」に経営権を譲っています。
愛称が“センム”なのに社長をつとめていた宮脇修一さんが愛称通りの「専務」に戻り、社長にはオリエンタルランド(東京ディズニーランドなど運営)で常務をつとめた経験を持つ佐藤哲郎さんを迎えました。
すでに海洋堂は創業家である「宮脇親子」から経営権が離れているわけですが、両氏とも以前と変わらず積極的な活動を続けています。
門真市が運営する「ものづくりタウンかどま」という市内中小企業の紹介サイトでは、宮脇修一さんのインタビュー記事が掲載されており、同氏がどんな思いでいたのかの一端を知ることができます。少し長いのですが、以下に転載します。
実はこの2月に、本当はもう海洋堂を解散しようと思っていました。傲慢かもしれませんが、自分以上にものづくりや造形に対して詳しく、知識と腕と情熱を持ってやり続けられる人はいないと思ったからです。それくらい、私と海洋堂は一心同体。私は海洋堂で、海洋堂は私です。今回偶然にもオリエンタルランドで常務をされていた佐藤哲郎氏とご縁をいただき、海洋堂のこだわりや強みを理解していただいた上で資本業務提携を結び、新体制で海洋堂を続けていくという道が生まれましたが、私は個人的には本当にものづくりが好きなだけの人間ですから、海洋堂でもっともっと良い模型を作りたいと思います。(ものづくりタウンかどま)
「本当にものづくりが好きなだけの人間ですから、海洋堂でもっともっと良い模型を作りたい」、このあたりの言葉には、知名度を上げ続ける海洋堂の「経営者」として振る舞い続けなければならなかったことに対する苦しみが見て取れます。かつて「兄ちゃん」と呼ばれ慕われていた造形者集団のリーダー的立場から「センム」となり、創業者に代わって社長に就き、企業自体は飛躍的な成長を遂げたけれど、どこか辛かったのかもしれません。
今は著名な造形アーティストの存在も知られるようになりましたが、海洋堂を代表して率いていくのは宮脇親子であることは間違いありません。投資会社の目的である「企業価値の向上」を達成するためには宮脇親子の力が不可欠なため、たとえ経営権が移っても宮脇親子の情熱と体力が続く限り、海洋堂の活動内容が変わることはないのでしょう。
一方、佐藤哲郎社長は、宮脇親子の活動を経営面から支えるとともに、たとえ2人がいなくなったとしても、海洋堂を存続させる準備を整えることが大きく重いミッションとなります。
大手傘下に入った事業者向けの2社
これまで全国的に知られている門真の3社を紹介しましたが、次の2社は直接的には一般消費者向けの製品は作っていないため、知名度は高くないものの、業界では知らない人が少ない門真企業です。
知る人ぞ知る門真の「2大企業」
株式会社 天辻鋼球製作所
- 本社:門真市上野口町1番1号
- 門真移転:1939(昭和14)年(大和田村時代)
- 創業:1920(大正9)年8月(大阪市淀川区)
- 売上高:316億円(2021年3月)
- 従業員:1,855人(「マイナビ」情報)
- 備考:日本精工株式会社グループ(2006年~)
株式会社 柳澤製作所
- 本社:門真市柳町17番1号
- 門真移転:1960(昭和35)年
- 創業:1936(昭和11)年9月(大阪市都島区)
- 売上高:72億3000万円(2021年3月)
- 従業員:279人(2021年9月)
- 備考:リンナイ株式会社グループ(1970年~)
天辻鋼球製作所は「ベアリング」に使う「玉」を作る老舗企業で、柳澤製作所は主にガス炊飯器などの「厨房機器」を製造している会社です。どちらも現在は大手企業のグループ会社となっています。
「大和田村」時代に進出した天辻鋼球
天辻鋼球は大和田駅にほど近い上野口町に広大な本社工場を戦前から置いており、門真に合流する前の「大和田村」時代に同地の農家が整地し、工場を誘致したそうです。
旧「門真村」に著名・老舗企業が集中するなかで、東部エリアでは天辻鋼球がもっとも大規模な企業といえます。
東京証券市場二部と大阪証券取引所二部へ上場するだけの規模を持つ企業でしたが、2006(平成18)年になって、日本で最初にベアリングをつくった大手工業機器メーカー・日本精工株式会社(NSK)が天辻鋼球を子会社化し、上場廃止となりました。もともと天辻鋼球にとってNSKは筆頭株主で、最大の顧客だったといいます。
大和田駅周辺の宅地化が進むなかでも、今も大型の工場を残していられるのは、業績が安定していることに加え、大和田村の歴史を背負っている数少ない存在だからかと思ったりもします。
柳澤製作所 vs タイガー魔法瓶?
一方、柳澤製作所は国道163号線沿い、タイガー魔法瓶の本社とも近い柳町に1960(昭和35)年から本社工場を置いています。
比較的早い段階で給湯・厨房機器の大手メーカー「リンナイ」の傘下に入っており、同社が販売する業務用の厨房機器だけでなく、リンナイから発売されている家庭用のガス炊飯器「直火匠」や「こがまる」なども製造。また、大阪ガスが発売している一部ガス製品の製造も担っているようです。
国道163号線の隣り合った場所で、ガスと電気という違いこそあれ、柳澤製作所とタイガー魔法瓶がともに「炊飯器」を製造しているのは、ものづくりの街・門真らしい環境といえるのではないでしょうか。
日の本トラクターと軽貨急配の思い出
最後に、5大企業ではありませんが、今はなくなってしまった思い出深い門真の著名企業を2社紹介し、この長い記事を終わります
今は無き著名だった門真企業
株式会社 東洋社(日の本トラクター)
- 本社:門真市常称寺町16-55(現「関西スーパー京阪大和田店」)
- 門真移転:1957(昭和32)年
- 創業:1863(文久3)年(熊本県)
- 備考:1990年に日立建機の傘下入り、1997年から社名を「株式会社日立建機ティエラ」とし、2013年に門真市内から撤退し大東市新田境町へ、本社は滋賀県甲賀市に
軽貨急配 株式会社(トラステックスホールディングス)
- 本社:門真市垣内町12番32号(現「古川橋メディカルプラザ」)
- 門真移転:1996(平成8)年
- 創業:1987(昭和62)年12月(寝屋川市)
- 備考:2000年10月に大阪証券取引所2部に上場(2009年上場廃止)、2007年に持株会社をトラステックスホールディングス株式会社(その後破産)を創設し事業会社として傘下に。軽貨急配は2011年にBy-Qグループ傘下入りし、株式会社Q配サービスに社名変更、2015年の吸収合併後に解散
東洋社は“大昔”に熊本で発祥し、1957(昭和32)年から大和田駅の近くの常称寺町に本社を移転。京阪電車からも見えたあの「日の本(ひのもと)トラクター」の会社です。
農業用トラクターなどの農機具メーカーとして農業分野では広く知られていましたが、1990(平成2)年には日立グループに入り、トラクターの製造は1992(平成4)年に終了。その後には社名も消え、門真からも撤退しています。
現在は「HITACHI」ブランドのミニショベルカーを製造する「日立建機ティエラ」として、本社を滋賀県甲賀市に置き、大東市新田境町には大阪工場を残しています。
一方、軽貨急配は今でいうウーバーイーツ(Uber Eats)の配達員のような業務委託形態で、軽自動車による全国的な運送会社を目指したベンチャー企業でした。
古川橋駅から近い八尾茨木線沿いに本社を置き、一時は「トラックのない運送会社」としてもてはやされ、株式上場も果たしています。
ただ、ビジネスモデルに不透明な部分もあって委託ドライバーから訴訟を起こされたり、決算の粉飾が発覚したりして会社も事業の名称も現在は消えています。
門真ではめずらしい「ものづくり以外」の企業でしたが、古川橋の地で成長と事業継続はなりませんでした。
以上、今回は全国的に著名な5社と過去の2社を紹介しましたが、このほかにも門真市内には成長を秘めた企業がまだまだあり、機会を見つけて少しずつ探して紹介していければと思います。
(2022年6月11日時点の内容です)