次々と閉校した門真市内の学校、児童生徒の数は7割近く減る

門真一中の跡(2022年5月)
学校の話題

学校という面から見ると、1970年代から90年代初頭くらいまでが賑やかだった門真の“黄金期”といえるのかもしれません。

最大時には17の小学校7つの中学校に加え、3つの府立高校が置かれていた門真市内では、2000年代に入ると児童・生徒の減少から学校の閉校が相次ぎ、2022年現在も統廃合の議論は止まりません。出身者には寂しい思いが募る一方、子どもの数がさらに激減する未来へ進むためには、避けられない変化といえます。

この20年ほどの間に閉校した門真市内の学校を一覧にしてみました。高校は大阪府立で、小・中学校は門真市立です。

2000年以降に閉校した門真市内の学校

閉校後に学校施設が変化・消滅した学校

  • 2003(平成15)年閉校:門真南高校(大字北島):校舎と敷地は「門真市民プラザ」「門真市立こども発達支援センター」として使用中
  • 2005(平成17)年閉校:南小学校(千石西町):跡地を使い門真市営(旧大阪府営)「門真千石西町住宅」1~4号棟(計355戸)が2014年に完成
  • 2008(平成20)年閉校:中央小学校(中町):跡地を使い「門真はすはな中学校」が2012年に新築開校
  • 2012(平成24)年閉校:北小学校(泉町):体育館は市民施設となっていたが2019年3月限りで閉館、跡地活用のあり方は市が検討中
  • 2012(平成24)年閉校:第一中学校(幸福町):跡地は周辺一帯とともに更地化され、41階建てタワーマンション・図書館・広場などの再開発予定地として使用予定
  • 2012(平成24)年閉校:第六中学校(中町):校舎は市役所の庁舎本館(仮庁舎=今後建て替えの方向)として、グラウンドは市民利用施設の「運動広場」として使用中。体育館は2017年9月に閉鎖・解体済み

学校施設を残して閉校した学校

  • 2003(平成15)年閉校:門真高校(島頭4丁目):校舎などは「門真なみはや高校」として使用中
  • 2005(平成17)年閉校:水島小学校(三ツ島6丁目):校舎などは「砂子小学校」として使用中だが、今後統合の議論あり
  • 2012(平成24)年閉校:浜町小学校/浜町中央小学校(浜町):校舎などは「門真みらい小学校」として使用中

今後、学校施設や学校名が変化・消滅する可能性のある学校

  • 未定:砂子小学校(三ツ島6丁目):脇田小・第四中の敷地に設置される小中一貫校に統合する方向を市が打ち出す
  • 未定:北巣本小学校(北巣本):四宮小学校に統合する方向を市が打ち出す

今後、学校名が変化する可能性のある学校

  • 未定:脇田小学校(脇田町):隣接する第四中の敷地とあわせ「小中一貫校」を設置する方向を市が打ち出す
  • 未定:第四中学校(江端町):隣接する脇田小の敷地とあわせ「小中一貫校」を設置する方向を市が打ち出す
  • 未定:四宮小学校(四宮2丁目):北巣本小学校と統合する方向を市が打ち出す
  • 未定:大和田小学校(大橋町)・上野口小学校(上野口町):今後の統合も視野に市が検討
  • 未定:門真西高校(柳田町):「3年連続で定員割れ」の基準により再編の検討が行われる可能性(大阪日日新聞報道)

一覧は以上です。

20年でここまで変化したのか、と驚くばかりですが、自分の出身校が消えたり、消える可能性があったりすることにはやりきれない思いも募ります。

門真市内の学校は、1872(明治5)年に開校した「門真小学校」(柳町)と「大和田小学校」(大橋町)、1874(明治7)年開校の「四宮小学校」(四宮2丁目)、1875(明治8)年開校の「二島小学校」(三ツ島1丁目)、そして戦後すぐの1947(昭和22)年に開校した「第一中学校」(閉校済み、幸福町)の5校が源流でした。

門真市内の小・中学校における変遷(2021年3月、門真市教育委員会「門真のめざす教育とこれからの学校づくり実施方針」より)

1960年代以降、人口が増えるたびに二島小を除く4校を源流として“分離独立”を繰り返しながら市内各地に小・中学校が増えていき、1983(昭和58)年に東小学校(岸和田)が新設された時点で、17小学校と7中学校という体制が確立します。

また、門真の人口増にともない、大阪府1971(昭和46)年に「門真高校」(閉校済み、上島頭=現島頭4丁目)、続く1977(昭和52)年には「門真西高校」(柳田町)、さらに1981(昭和56)年には「門真南高校」(閉校済み、大字北島)を新設し、市内中学生の“地元集中”(地元の高校を受験することを強く推奨する運動)の受け皿となっていきました。

「地元集中」の受け皿だった3つの府立高

門真なみはや高校の校門にひっそり残されている「門真高校」のメモリアル銘板

門真市内に高校が生まれたことで、1980~1990年代半ばまでは一中~七中ごとに門真、門真西、門真南のどこかを進路先として割り振る地元集中運動が加速

成績の上位生徒が「寝屋川高校に行きたい!」などと言おうものなら直ちに進路指導室へ連行され、「みんなで一緒に地元の学校へ行こう」などと何度も説得される……(四条畷高校を志望できるようなレベルの生徒に対しては教員もどこか諦めていた気がしますが)。

地元集中で大量に送り込まれた生徒の質はさておき、高校卒業時まで門真市民を市外へ流出させない強固な“エコシステム”となっていたのですが、90年代後半になると、「自由意思に反する」との批判もあって地元集中運動は次第に下火になり、「一中~七中」→「門真の3高校」という集客ルートが崩れ始めていきます。

運転免許センター近くにある「門真西高校」は2022年時点で残っているが、志願者の減少から再編対象となる可能性が取り沙汰されている

その後には追い打ちをかけるかのように、大阪府が「生徒・児童の数が減っていくなかで、府立高校の数は多すぎる」ということから統合の検討を始め、門真高校と門真南高校は2000年初頭という早い段階で統合対象に入れられてしまいます。

2校は「小規模化が進んでいる」というのが公式の理由ですが、平たく言えば近所で似たようなレベルの高校は2校もいらんやろ、一緒にしてまえ、ということなのでしょう。

その後も大阪府内ではさまざまな府立高校が統合されてきましたが、対象の選定にあたっては、門真の2校のように、歴史が浅く偏差値もそれほど高くはない高校を狙い撃ちしているようにも感じさせられます。

北河内で言えば、四条畷高校は統合対象にできないから「四条畷高校」を、寝屋川高校も同様に難しいから「寝屋川高校」、といった形です。

弁天池公園(岸和田1丁目)の隣にあった南寝屋川高校(1973年開校、2008年に大東高校との統合で閉校)にいたっては、大阪府が「財産売却のノルマがあるから」などという理由で、廃校後すぐに跡地を不動産事業者に売り飛ばすという無慈悲な行動に走り、関係者の怒りを買っています。

門真市民プラザの出入口には、ここが「門真南高校」だったことを示す記念碑が建てられている

そういう状況も見られたなかで門真市は、府が持つ門真南高校の跡地と、市が持つ南小学校(千石西町)の跡地交換して南高校跡を校舎ごと入手し、公共施設に転換したことは評価できるのではないでしょうか。

学校施設ではないにせよ、今も門真南高校時代の校舎は残っていて当時の面影を残していますし、南部の市民利用施設も増えました。20年しか使っていなかった建物の有効利用にもなっています。

なお、交換時に府へ差し出した南小学校の跡地は府が府営住宅を建てたので校舎などは消えてしまいましたが、その後、府営住宅は門真市に移管されたので、結局、南小跡が市の手元に戻ったのは予想外だったかもしれません。

校舎も古い小中学校、統合進める一因に

一方、門真市立の小・中学校も府立高校と同じように2005(平成17)年以降は次々と統合が進められてきました。

なかでも象徴的なのは、門真一中と六中の統合です。将来の再開発がらみということもありますが、門真の市立中学校の元祖だった「一中」をも統合対象としたところに危機感が伝わってきます。

市内の児童・生徒数は1980年代から見ると激減している(2021年3月、門真市教育委員会「門真のめざす教育とこれからの学校づくり実施方針」より)

市の資料によると、市内の児童・生徒数は1980(昭和55)年には過去最多となる2万4088人もいましたが、2020(令和2)年には7411人7割近くも減っているといいます。そして今後も減っていくと予想されています。

これまで、市は明治初頭に開校した伝統校の「門真小学校」(柳町)や「大和田小学校」(大橋町)、「四宮小学校」(四宮2丁目)、「二島小学校」(三ツ島1丁目)の4校は統合対象として手を付けてきませんでしたが、この先は大和田小や四宮小も議論の対象となることが明らかになりました。

2005(平成17)年に2校統合で発足した「砂子小学校」(三ツ島6丁目、南小+水島小)にいたっては、さらなる児童減で“再統合”の検討対象になりました。次に統合した場合は、もはや原型がわからなくなってしまいそうです。

また、門真の小・中学校は、高度経済成長期に集中して建てられたことから、どこの校舎も築40~50年前後と建て替えや大規模改修が迫っていることも、学校統合を促す一因となっていました。

昭和時代のイメージが強い門真の学校を一新した「門真はすはな中学校」

門真はすはな中学校」(一中+六中、2012年開校)のように、新しい校名を付け、新しい校舎&新しい場所(近隣地)でスタートすることで、これまでのイメージを一新させるような手法を取り入れていく可能性があります。

嫌というほど児童生徒のいた1980年代に門真の小・中学校で育った身としては、荒れた時代の学校を想起させるような「昭和の古い校舎」を刷新できる好機ではないか、と思いますし、新たな学校の誕生で学力レベルやイメージが上がれば、良質な住民の呼び込みにも好影響を与えるでしょう。とにかく人の多かった時代のように「詰め込み」の心配はありませんので、きめ細かな教育も期待できます。

門真の学校へ共に詰め込まれた“ろくでもない同級生”たちの顔を思い浮かべると、将来のために今こそ学校を一新すべき!と願う一方、そんな阿呆たちと過ごした思い出の地が消えてしまうことには、言葉にならない寂しさが湧いてくることもあります。

(2022年5月14日時点の内容です)