門真では60年前から当たり前の「中学校給食」と府下の不毛な議論

門真一中と六中の統合で2012(平成24)年4月に開校した「門真はすはな中学校」が門真の中学校の源流を継ぐ存在となっている
学校の話題

門真って実はすごかった、と気付かされたのが2011(平成23)年頃から大阪を中心に全国的な話題となった「中学校給食」の問題でした。

この頃、大阪府内の中学校で給食を提供していたのは、門真市などわずか1割超という現状が知られるようになってきたのです。

門真市民にとっては「中学校の給食?そんなん昔からあるのが当たり前や、以上!」で終わるような話かもしれません。

ところが、2008(平成20)年に橋下徹・大阪府知事が誕生し、その後に府内や、のちに転じた大阪市長として中学校給食の導入議論を進めたことをきっかけに、門真の常識は、少なくとも大阪では良い意味で少数派だったことが明らかになります。

大阪にほとんどなかった「自校調理」

2008(平成20)年5月時点では、大阪府の公立中学校における給食(完全給食)の導入率はわずか7.7%で、府内465校中36校しか実施しておらず、このうち7校は門真の中学校(一中~七中)です。

この時点で大阪府は、全国で2番目に低かった神奈川県(主に横浜市と川崎市が未実施、16.2%)にも大きく引き離され、圧倒的な全国ワーストでした。

当時の橋下知事が就任したことを契機に、府が府下の自治体に財政的支援をすることで中学校給食の導入を促していくことになります。

しかし、府下にある多くの公立中学校では給食がないことが当たり前という状況だったこともあり、学校内に調理場をつくるスペースを確保するのにも困難を極めました。

少しずつ導入議論が進みつつあった2012(平成24)年3月時点のデータですが、大阪府内では、校内で調理する「自校調理方式」によって中学校給食を提供していたのは、門真の7校(一中~七中)と和泉市(10校)、富田林市(8校)、熊取町(3校)、田尻町(1校)、岬町(1校)だけ。

2012(平成24)年3月時点で大阪の公立中学校において「自校調理」していたのは門真や和泉市などごくわずかだった(大阪府の資料より)

北河内では四条畷市(4校)と交野市(4校)が数少ない中学校給食の実施自治体でしたが、「センター方式」と呼ばれる集中調理による給食としており、枚方市(19校)や寝屋川市(12校)、守口市(9校)、大東市(8校)の中学校ではこの時点で給食を提供していませんでした。

中学生には「母の愛情弁当」が必須?

中学校での給食は1956(昭和31)年に各自治体が実施するよう法律で決められていたのですが、これは強制ではなく「努力義務」となっていました。

高度経済成長期に入っていた当時、大阪府や神奈川県の自治体では、急増する人口への対応に追われ、努力義務である中学校の給食提供は後回しになったと言われています。

人口が増え続けてインフラ整備にお金がかかり、中学校を建てるだけで精一杯なので給食にお金を回す余裕がない、という事情があったようです。

中学生になるとなぜか「弁当持参」が“愛情”だとされるようになる(イメージ、PhotoACより)

ただ、自治体にお金がない、なかった、ということはあまり触れられたくないようで、大阪市などでは多くの議員を含めて「中学生には母親の愛情弁当が必須」などという論調を形成します。

「では、小学校の給食には愛情が無いとでも?」と突っ込みたいところですが、たとえば大阪市では中学校で給食を導入せず、生徒に弁当持参を求める理由として、「中学生は、心身ともに大きく成長する時期に当たり、基本的な生活習慣の形成や栄養摂取などにつきましては家庭の役割が大切であること、家庭とのきずなを深めるよい機会」(2006年3月、議会における担当者答弁)などと説明しています。

弁当が無いと中学生は家族とのきずなを深められないのですか? とさらに突っ込みたくなるような主張です。

大阪市ではその後、中学校給食の実施を公約とした市長が相次いで登場するに至り、すぐに実施できない理由として、財政状況が厳しいことを徐々にほのめかすようになります。

大阪最大の基礎自治体なので「大阪市」を例に挙げましたが、日本最大の基礎自治体で中学校給食を未実施だった横浜市(神奈川県)でも似たような議論が展開されており、大阪市だけが特別なわけではありません。

給食を実施していなかった自治体は、弁当持参を正当化することで、お金のかかる中学校給食の問題から逃げていた面もあったのでしょう。わが子の弁当を作ったことが一度もないような中高年男性(主に議員)が中心となって論陣を張っていたことからも、そんな感じがします。

給食のイメージ(PhotoACより)

それから10年ほど経った2020(令和2)年10月時点で大阪府が調べたところによると、調理方法はさまざまですが、府内の公立中学校における給食は96.5%が実施済みとなっていました。

“愛情弁当論”を強く主張していた大阪市でも全校で給食を提供するまでになり、大阪でも「中学校給食は当たり前」という環境に生まれ変わっています。

なぜ門真は先進的に導入していたのか

大阪の中学校給食という面において、門真はきわめて先進的な自治体だったのですが、1980年代に門真の中学生だった一人としては、当時から中学校給食が当たり前すぎて、ありがたさを感じていなかったのが正直なところです。

門真における2022年6月の「給食献立表」、昔から小学校と中学校は共通メニューで、中学校になると量が多くなっていた(門真市公式サイトより)

それから30年以上が経ち、2010年代になっても前時代的な“母親の愛情弁当論”を頑なに主張し続けている自治体(と議員)が存在しているのを見て驚き、大阪では門真の中学校が先に進んでいたことをようやく知ることになりました。

そもそもなぜ、門真では大阪府のなかでもいち早く中学校給食を提供できていたのでしょうか。

門真の中学校で給食が始まった「1956(昭和31)年」という時期がポイントとなります。

3村合併と裕福だった財政が後押し

1956(昭和31)年は、中学校給食の実施の努力義務が法律に盛り込まれた年です。門真ではそれとほぼ同時に中学校で給食を始めています。

門真は法律の「努力義務」をきちんと守ったわけですが、その背景にあったのが「1町3村」の合併でした。

この年の9月、当時の「門真町」と「大和田村」「四宮村」「二島村」の1町3村の合併によって新たな“門真町”が生まれています。

合併した際に重点政策の一つとして打ち出していたのが「中学校の完全給食」でした。

1956(昭和31)年9月30日の門真町+大和田村+四宮村+二島村の合併を機に中学校で給食が始まっている(イメージ、PhotoACより)

合併前の門真町では、すでに中学校での給食を要望する運動があったといい、3村を“吸収”した翌月の10月18日から「町立門真中学校(その後の門真一中)」で早くも学校給食の提供を始めています。

門真では60年以上も前から中学校給食を求める運動が起きていたというのは驚きですが、町村合併という特殊な環境もあって、当時の門真町は給食導入を速やかに決めることになりました。

ちなみに大阪府で中学校給食を一番最初に始めた自治体は和泉市だそうですが、門真もそれに匹敵する早さだったとみられます。

なにより当時の門真は、大阪一の黒字自治体と言われており、財政的に余裕があったこともプラスに働いたのでしょう(その後、人口が増えすぎてインフラ整備費の支出がかさんで破綻寸前にまで追い込まれてしまうのですが…)。

この時、門真町に合流した3つの村(大和田村・四宮村・二島村)には、二和中学校(大和田村・二島村の組合立)と四宮村立中学校があったのですが、ここで給食が行われたかどうかの確認が取れませんでした。

ただ、この2つの四宮村立と組合立中学校は設備が貧弱だったこともあり、合併を機に門真中学校を建て替えて統合することが決まっていて、1958(昭和33)年4月に3校は一緒になっています。

その後、人口増によって門真二中をはじめ門真七中まで計7つの中学校が誕生するのですが、門真中学校(一中)にならって給食提供が標準となっており、それが現在まで続いているというわけです。

門真一中(門真中学校)にならい、その後に次々と新設された中学校では当然のように自校調理で給食が導入されている(写真は門真五中)

3村合併というタイミングに加え、当時の裕福な財政が早期の導入を後押ししたといえますが、その後の財政危機では中学校給食を止めてしまおうとしたことはあったようです。

それでも頑張って維持し続けたことにより、2000年代後半になって「“愛情弁当”vs給食」のような不毛な議論に巻き込まれなかったのは、誇るべきことだと強く思いますし、門真の良き伝統として未来に語り継いでほしいと願っています。

(2022年8月13日時点の内容です)