“門真の玄関口”として半世紀が経過した門真市駅前の「門真プラザ」が建て替えへ向けた動きを加速させています。
今年2022年中には再開発計画の具体化を担う“事業協力者”を決め、来年度中には都市計画決定まで進めたい考えです。
門真プラザの建て替えをめぐっては、再開発の基本構想策定や現況調査を担う事業者として、門真市が株式会社ユーデーコンサルタンツ(大阪市中央区本町)に2019(平成31)年から業務を委託。再開発の手法などを検討してきました。
今年5月には門真プラザの権利者(地権者)ら61人が「門真市駅前地区 市街地再開発準備組合(再開発準備組合)」を設立しており、今後は同再開発準備組合が建て替えをなどの再開発を進めるにあたり、実務を担う事業協力者の募集を始めたものです。
再開発準備組合では、今年中に事業協力者を選定し、来年2023(令和5)年度(2023年4月~2024年3月)中に都市計画決定を行い、2026(令和8)年度には着工する計画としています。
耐震性がなく市が建替えを決断
門真プラザといえば、「イズミヤ」と「門真市立図書館」のある場所として門真市民には広く知られた建物です。最近はイズミヤ3階の「海洋堂ホビーランド」が市内外から注目を集めています。
計3棟ある建物の下層階は、約20のテナントによる“商店街”や大型商業施設の「イズミヤ」などとして使われる一方、上層階は「市営住宅」(200戸)と「分譲住宅」(35戸)になっていて、公共住宅と商業の複合施設という位置付けです。
すでに1973(昭和48)年のオープンから50年が経ち、あらゆるところに老朽化が目立つようになりましたが、大幅なリニューアルも行われていないため、今も“昭和レトロ”な雰囲気を残し続けています。
手が加えられていない理由は「耐震性」の問題を抱えているためで、建物は“旧耐震”と呼ばれる1981(昭和56)年以前の基準で建築。
耐震性が不足していて、大きな地震が起きれば倒壊の危険もあることから、市が「建て替えは避けられない」と判断したものです。
10年以上前から市営住宅の入居者移転を徐々に進めており、今年6月時点では全200戸のうち、使われているのは77戸にまで減っているといいます。
一方、商業施設としても使われている“半公共施設”という特殊な事情もあって、建て替えの動きはなかなか進みませんでした。
その経緯について、門真プラザが建てられた半世紀前にさかのぼって探ってみましょう。
「新駅」の開業ととも再開発
もともと門真プラザは、「新駅」の開業とともに作られた施設です。
1970年代初頭まで門真市内には「門真市駅」も「西三荘駅」もなく、今の西三荘駅の近くに「門真駅」が置かれ、ここが市の中心という位置付けでした。
ただ、この「門真駅」は元町・本町地区(現在の元町郵便局付近)のカーブ上にあり、ホームも狭く危険性が高いということから、古川橋寄りの新橋地区に「新門真駅」を設けることになります。これが今の「門真市駅」です。
新門真駅の新設により、危険な場所にある「門真駅」は廃止となるわけですが、当然、駅近くの人々は反発します。そこで高架化を機に守口寄りに設けられた新駅が「西三荘」でした。
守口寄りとなったことで、西三荘駅は萱島駅(寝屋川と門真の市境)のように市境にかかってしまいましたが、松下電器の本社には近くなりました。
当初、門真市側は新駅の駅名として「松下」を希望したものの、京阪電鉄側は「企業名はダメ」と難色。「では、西門真駅に」と要望しましたが、今度は守口市側が「橋波駅か東守口駅とすべき」と主張します。
ええい、行政の縄張り争いなど面倒だ!と言ったかどうかは知りませんが、京阪電鉄は突如、駅の下を流れていた「西三荘川(水路)」の名を駅名にしてしまいます。
その存在がほとんど知られていなかった川だったため、1975(昭和50)年3月の開業時は「西三荘って何の名前や?」などと京阪に問い合わせが多数寄せられたといいます。
ちなみに「西三荘」は「にしさんしょう」が正確な読み方だとされていますが、今では川(水路)も地下に潜って見えなくなってしまい、駅名の「にしさんそう」が駅名としても街の通称としても定着していますので、どうでも良いことなのかもしれません。
こうした興味深い経緯が「門真市史」に詳しく載っていたのですが、門真プラザとはあまり関係のない余談のため、本題に戻ります。
木造住宅に代わって市営住宅
1971(昭和46)年6月に開業した「新門真駅」ですが、門真市役所に近くなったこともあり、市は「ここを門真の玄関口に」と意気込み、木造住宅や店舗が密集していた新駅前の再開発をもくろみます。
ただ、新駅前の木造住宅に住んでいたり、店を営業していたりした人たちからすれば、いきなり移転せよ、と言われても納得しがたいものがあるでしょう。
そこで、「ビルの下に店舗スペースを、その上には市営住宅を建てますから、そこへ移ってください」と市が設けたのが門真プラザ下層階の「改良店舗(テナントスペース)」と上層階の「新橋市営住宅(改良住宅)」です。
ちなみに「改良住宅」とは行政用語で、木造の古い“不良住宅”を改良するという目的で建てられた公営住宅を示しており、一般の公営住宅より家賃が低く設定されるなどの特徴があります。
再開発前の駅前には住宅が212戸、店舗は12店あったといい、多くは門真プラザ内の“改良住宅”や“改良店舗”へ移ることになりました。
民間巻き込み、最小出費で再開発
市は、新たな玄関口となる門真プラザを作るべく再開発を計画してみたものの、1960年代後半の門真は大阪でもっとも人口が急増しており、小学校を新たに作ったり、道路を敷いたりと出費がかさみ、財政は“金欠状態”。
そこで、再開発の費用を生み出すため、当時の市が採った方法は、民間企業を巻き込むことでした。
市は門真プラザの再開発に大手総合商社の「丸紅」に参画を求め、土地の多くを同社へ売却するとともに、丸紅は建物の「区分権」をイズミヤなどのテナント事業者などに販売。
一方、市は国から補助金を引っ張ってきて上部の「改良住宅」分を確保することに奔走しました。
46億3000万円という事業費のうち、市は20億7000万円を負担しましたが、そのほとんどを国の補助金でまかない、実際に支出したのはわずか3億円だったと言われています。
こうした手法は“門真方式”とも呼ばれ、古い言葉で言えば「民間活用(民活)」の好事例として国から表彰も受けています。
当時としては斬新な方法だったといえますが、民間企業が参画したことで市が関与できる部分は薄くなり、建物の区分権を細かく販売したことで、門真プラザの権利者(地権者)の数が多くなりました。
耐震性の問題が指摘されていながらも再開発に踏み出しづらかったのは、こうした背景があるためです。
市を含めて「権利者」は65人
再開発準備組合が公表している資料によると、門真プラザの権利者は今年(2022年)6月現在で65人(門真市含む、共有名義などの場合も1人としている)だといい、このうち61人が「再開発準備組合」に参加しているとのこと。
再開発に対する賛否はともかく、権利者が準備組合に参加しているということは、話し合う余地があるわけで、準備組合を作ること自体は賛成しているということになります。
一方、建物の多くを占める新橋市営住宅の入居者のなかには、「市が再開発するから移ってくれと言われここへきたのに、また再開発で転居とは……」と困惑している人もいたといいます。
それだけに市は、新規入居者の募集を停止しながら、時間をかけて使用住戸を減らしており、今も居住する住民には別の市営住宅へ転居することを今後も求めていくことになるのでしょう。
“再再開発”は高層ビルになる?
門真プラザを中心とした“再再開発”がどのようになるのか、すでに市や事業者は青写真を描いているようですが、一般には公表していないため、今の時点では分かりません。
かつて、大日駅前のように45階建てくらいの高層タワーマンション的な建物を建てることを構想していたとも言われています。
現在の門真プラザも12階建て(地下1~3階は店舗スペース、4~12階が住宅スペース、3・4階の一部に屋上庭園)と1970年代の建築物としては比較的高い建物です。
再開発にあたっては「高度利用型地区計画」を指定すると明らかにされていますので、それなりに高い建物となることは間違いありません。
建物の高さ上げて住居を増やし、分譲マンションとして売れば再開発費用の負担減にもなるでしょう。
65人も権利者がいれば、さまざまな思惑があって話をまとめる苦労も多くなりますが、今後誕生するであろう“新・門真プラザ”が日本のどこの街にもあるような没個性の「高層再開発ビル」にならないことを願うばかりです。
なお、現時点では「新橋市営住宅2期」と呼ばれる図書館が入っている建物は耐震化のうえで残す方針のようですが、寿命を考えれば、一気に建て替えたほうが将来的には有益に思えるのですが、どうなのでしょうか。
門真プラザでの耐震性の問題を考えると、ほぼ同じ時期に建てられた建物だけに、お金をかけても長寿命化できるのかどうかが心配なところです。
(※)本稿は「門真市史」と門真市公式サイト、ユーデーコンサルタンツと再開発準備組合が公表している事業協力者の公募資料などを参照しました
(2022年7月23日時点の内容です)